執拗な規制派の運動お題目は目的を満足するのか。

男女共同参画局が「女性に対する性暴力表現規制」を検討するようだ | スラド YRO
表現を規制することは問題が解決する一つの手段として有効なのか非常に疑問があるところなのだが。そしてそれが実被害の無いバーチャルなものまでするとなれば目的となっているどこが利益を受けるのかまったくわからん。規制反対派の気持ちとしては手段のみが達成されることへの理不尽さもあるのだろう。こういう風に聞こえのいいことに賛成しやすいが、それがもたらす結果については熟考してから判断をしたい。