リンクされていないwebページはただの紙屑と同じ

今朝の読売新聞で、でかでかと勝利宣言のように載っていた記事ー見出しにも権利が認められるというもので、ずいぶんとした喜びようのものだった。しかしこの記事を読んでいてなにか引っかかるものを感じた。そして気づいたのがこのーリンクされていないwebページはただの紙屑と同じーつまり

  • 自分で自分の首を絞めていませんか?

ということ。記事の見出しというものに権利があるかどうかー記事の概要を伝えるひとつの記事かただの単語を並べたものかどうかーは偉い法律の先生や知識人たち頭のよい人達にひとまずまかせておいて、ここで言いたいのはもっとwebにおける基本的なこと、リンクの貼られているページほどその重要度は高く人の目に触れやすいということである。
なんだかGoogleの解説のような気もしてきたけれど、webにおいてどこかからのリンクがなければ、第三者にとってそのページは存在しないと同じこと。このブログやinfoseekに作ってあるwebページは、はてなのキーワードや検索サイトでの検索によって少なからず人が来ているし、それらの情報によって多少なりそれぞれ知りたかった事を得ていて欲しいと思って作っているわけで(お。なんかど偉い事言ってるぞ)それらリンクが無ければここはチラシの裏の落書き同然で使われない情報として埋もれていくだけ。
記事を書いたからにはなんらかのコストがかかっているわけで新聞社はそれを読ませたいー読みたい人がいるから新聞を発行し対価を得る。それと同様にwebに記事を書きどこぞのポータルサイトなどと契約し記事にリンクしてもらう。だから記事の見出しを無料で使うのは許さん。と。
がwebはこれまでのメディアとは勝手が違うわけで。いままでのメディアでは消費者に対して一方的に情報を送りつければ、それを受け取りたい人はもちろんだし受け取る予定の無かった人も多少なりと受け取ってくれた。しかしwebでは送りつけるだけではこれまでのメディアと同じようなリアクションはかえってこない。消費者が受け取るためには消費者側からも受け取るためのアクションをおこしてくれないとその記事は読まれない。
あふーのトップに記事が載ったとしてもこれを書いている人みたいにあふーに毎日のようにアクセスするとは限らない人間もいる。しかもこの人間は新聞社のwebページにはまずいかない。そんな人間の欲しいかもしれない情報があふーのトップに数時間載っていたとしてもその記事はまったく読まれず消えていってしまう。が、この人間のwebページ巡回ルートのひとつにでもその記事の見出しがのっていたらどうなるか。
結局はその記事をwebにのせてどこで対価を得るかということなのだけれど